日連丸事件が今なぜ
最近、特定秘密保護法案が2013年12月6日に参議院で可決されたのに伴い、日連丸事件が新聞で取り上げられることが多くなっています。
敵潜水艦による日本近海での日連丸沈没事件を日本軍は最高軍事機密として取り扱いました。
大本営は日本の快進撃を伝えておりとても事実を伝えられなかったに違いありません。
遺族には撃沈された3ヶ月後に「北方方面作戦輸送中に戦死」との公報が届いただけでした。
日連丸事件は46名の生存者、厚岸、釧路などに当時の状況を知る人がいたにもかかわらづ、遺族は夫、親、子供、兄弟がどこでどのような戦死をしたのかわからないまま40年近くの歳月が流れました。
また釧路市の海運会社関係者2名が日連丸事件を漏らしたとして逮捕され有罪となる事件が起きています。
特定秘密保護法案の施行が始まろうとしている時に秘密法案の難しさを教える歴史的事実として日連丸事件に焦点が当たっています。
東京新聞 2013年11月18日付 国家のヒミツより抜粋
-2000人以上犠牲 輸送船撃沈 軍機密 戦後も闇の中-
国家の秘密はときに悲劇を生む。
終戦前年の1944年、北海道近海で二千数百人の陸軍兵を乗せた輸送船「日連丸」が
米軍に沈められた。
事件は軍機密保護法により軍事機密として伏せられ、うわさした人も同法違反で刑務
所へ送られた。
死んだという事実しか知らされなかった乗船者の遺族は戦後、最愛の肉親の最期の
地を求め、三十八年間も道内をさまよった。(飯田孝幸)
北海道新聞 2013年12月5日付 揺らぐ知る権利 秘密保護法案より抜粋
-輸送船撃沈 うわさしただけで投獄 遺族 場所を知らされづ40年-
太平洋戦争末期、釧路管内厚岸町沖で旧日本陸軍の輸送船「日連丸」が米軍潜水
艦に撃沈された後、釧路市の海運関係者2人が、日連丸の事をうわさしただけで軍機
密保護法違反で有罪となる事件があった。
戦況悪化を印象づける撃沈は軍事機密とされ、遺族が戦後40年近くも肉親の戦死場
所を探し続ける悲劇も招いた。
与党が成立を急ぐ特定秘密保護法案は秘密の対象に防衛も挙がっており、
当時を知る関係者は懸念を強めている。(釧路報道部 今川勝照)
毎日新聞 2014年3月30日付 ニュース再訪より抜粋
-厚岸沖 日連丸沈没から70年 「軍機」の影に散った3000人 真相判明まで40年の歳月-
70年前の1944(昭和19)年3月。陸軍輸送船「日連丸」と護衛駆逐艦「白雲」が厚岸町
沖で米潜水艦に撃沈され、日本兵ら3000人余りが流氷の海に散った。
日本近海での沈没事件は最高の軍事機密とされ、遺族による戦後の調査も難航。
実態が明らかになるまで40年近い月日を要した。
事件の面影を探して北辺の町を訪ねた。(伊藤直孝)
当時の状況を良く知る前住職 朝日 正芳は
「秘密がないのが一番いいが、全部なくして国家が成り立つのか特定秘密保護法には賛否どちらともいえない」
はっきりしているのは軍事機密が戦後も多くの人の口をつぐませたと言う事実です。
また、日連丸戦没者宮城県遺族会事務局の志田辰継氏はこのように遭難の地で慰霊祭を執り行う事が出来るのも遺族が肉親の死の真実を知り、弔いたいとの思いの結果であり、国からの情報提供ではなかった点を踏まえ現在の特定機密保護法は十分配慮した運用が必要ではないかと話されています。