生存者の証言

日連丸の真実 生存者 鈴木喜一郎氏の証言

日連丸事件の数少ない生存者のお1人であります、鈴木喜一郎氏の証言より抜粋
2004年12月3日に行われた厚岸歴史講座「日連丸事件の真実」より
-北海道中小企業家同友会 釧路支部厚岸地区会-

日連丸に乗りこむ
私は宮城県生まれで、入隊したのは仙台の辻が丘の22部隊です。
そこで予備士官学校の入校試験に受かって12月まで予備士官学校で勉強しました。下士官で入隊したのですが卒業する時にはわずかの月の間に見習士官、将校隊員として部隊に入りました。
そして2~3ヶ月後千島を包囲する命令が仙台の42師団から私の22部隊に下って汽車で小樽行き日連丸へ乗り込みました。
日連丸と他に2艘の輸送船があって3艘の駆逐艦が護衛して私たちを千島へ送り届けるというものだったのです。
どういうわけか小樽港を出たら千島は北の方ですから、北へ進むのかと思っていたら南へ向かったのです。なんでこんな無駄な事をするのだと、北へ向かえばウルップ島が目の前なのです。
なぜわざわざ遠回りして釧路に泊まっていたのだろうとあの時は皆不思議がって話していました。
詳しくはわかりませんがおそらくは小樽港を出る時、敵の潜水艦が前で待ち構えていたのです。
それを欺くために南へ向かって釧路に停泊したのでしょう。
釧路ではいろいろな戦時物資を積んで2泊し2月16日の夕刻、輸送船は日連丸を先頭に4艘の輸送船、3艘の護衛駆逐艦で千島へ向かいました。
それも釧路を出たら北へ向かうべきなのにまた南の方へ向かったのは敵が待ち構えているところ、攻撃の目をかすめるためにそうしたんだと思います。
そして急遽進路変更して千島へ向かったのです。

潜水艦の攻撃を受ける
釧路港を出船して3時間半後に釧路沖でやられました。
カチン、ドカーンで私たちの乗っていた日連丸と白雲あっという間に沈没ですよ。
胸が詰まるような光景でした。船が沈んで海に投げ出されたのです。
はじめは4~500名くらいいたと思います。
それがあそこは千島海流が勢い良く流れている所で、あれよあれよという間に1人1人消えていって3~40名くらいの姿しか見えなくなったのです。
姿が見えなくなる将兵は、戦友の名を大きな声で呼び続けて「俺は先に失敬するからお前たちはがんばれよー」といって1人行き、1人行き、だんだん少なくなって行くのです。
太い竹でできた筏が輸送船に積んであって何艘となく浮いていました。ボートも浮いていました。
泳いで何かにつかまらなねければ終りですから。
筏には投げ出された将兵がみんなしがみついているわけです。
私もすいている筏につかまってこれで俺も安心だと思っていたのですが、ところが北の海の冷たい水でびしょぬれになって、ゴムの救命胴衣を着けていてもだめでした。
海へ飛び込んだ時、慌てて筏の上に乗って腹這いになってこれで安心だと。
気がついた時には将校一人と兵隊二名あとは何人かの人がしがみ付いてきました。

奇跡的に助かる
何分か後に見たら私のつかまっている筏しか見当たらないのですよ。
流れ流れているうちに翌日の朝になって一晩中しがみ付いていた訳ですから。
しがみつくと言うより腹這いになって手足をばたばたして朝まで頑張ったんです。
遥か向こうの方から煙が見えまして周りにいた人が「船だぞー!」と叫んでそっちを見ると水平線に船がいるのです。
ふと見たら駆逐艦が我々の浮かんでいる周りをぐるぐる回ってボートを下して、救い上げられて助かったわけです。
助かっている人が4~50名いましてね、みんな上着から何から脱がされて、水兵たちが凍傷にならないようにと処置をしてくれて私も静かにしていました。
そして次の日、我々を助けてくれた駆逐艦がすぐ港に運んでくれるかと思ったら全速で周りを走り回って魚雷投下するのです。
その度にドカーンドカーンと音がして冷や冷やしていましたが、後で聞くと駆逐艦の連中は一艘同僚の駆逐艦がやられていますから敵討ちだということで敵の駆逐艦や潜水艦を探して走り回って、魚雷を投下していたのです。

厚岸に上陸
海に2日間いて、3日目にようやく陸に上がれたのです。その時俺も助かったかと思ったら、消防車に乗せられ頭から毛布をかけられて正行寺に行きました。
お寺では助かった40数名の将兵が白い部屋に収容され住職さんをはじめ皆様に本当にお世話になりました。
憲兵は我々の周りをうろつき回って話をするのを警戒していました。そして1ヶ月たってようやく体が丈夫になったので今度はまた憲兵隊付きで汽車に乗せられ札幌に行ったのです。
札幌で下されてどうなるかと思ったのですが、また千島に行く部隊の中にまた入れられたのです。

なぜ自分が
3,000名近い方が戦死したなかでどうして自分が助かる事が出来たのか。
私自身もなぜと云う気持ちがあります。
考えてみると確かな要件というものは何もないのです。とにかく海中救命胴衣というゴムの服を素早く身に付けて海に飛び込んだ訳です、針のような痛みがあって気がついたのですが、実は甲板に出て海に飛び込む前に滝のように流れてくる海水でハッチが巻き込まれてびしょぬれになったのです。
それで本来ならお陀仏なはずなのに、どういうわけかものすごい勢いで天井まで突き上げられたのです。今でも不思議です。
はっと気付いたら甲板に出る廊下の手すりにつかまっていました。
みんな慌てて海に飛び込んで行きました。私は海中救命胴衣をつけていましたから安心して飛び込んだのです。
飛び込んだら針で刺されるような痛みを感じてどうしようもないので筏を探して腹這いになって、これで助けられるまで大丈夫だと。
そして朝に船が見え次から次から助けられたと言うわけです。
やはり筏の上にまたがった人が助かったのです。
筏につかまった人は「先に失敬するからなー」と言って消えていったのです。
つかまっていた人は寒さのために眠気をもよおすのです。
それで力尽き一人消え一人消えするのです。

最後に次の世代へは悲惨な戦争の事実があって先輩たちが無惨な最後を厚岸の沖で遂げている事を心に留めていただきたたいと願っています。