歴代住職

 


朝日 芳史  在職 平成15年~

朝日芳史画像北の大地、厚岸に開基恵明が説教所を開設し100年をこえました。
これからも真宗の教えの中に檀家信徒とともに布教に努めてまいります。
この度、念願でありました本堂の大修理を完了することができました。
文化庁、北海道、厚岸町の関係者の皆さまには感謝申し上げる次第でございます。
信徒だけでなく厚岸町の人々誇りとしての正行寺本堂を後世へ受け継いでまいります。

 


朝日 正芳  在職 昭和20年~平成15年

朝日正芳画像正行寺本堂は寛政11年(1799年)、新潟県西頸城郡西海村大字平牛(現糸魚川市平牛)満長寺本堂として建立せられました。
その後縁あって明治43年(1910年)遠く北海道のこの地まで海上輸送し、厳寒積雪濃霧の厳しい現在地に移築再建し同じ真宗寺院本堂として至っております。
寺院創立30年、大きな財力ない中での本堂移築は艱難辛苦な事業でありました。
幸いけが人もなく無事竣工した本堂を仰ぎ見、額の汗が大きかっただけ人々の喜悦は一入り大きいことでした。
文字通り広く「普く請い」願い、多くのお力によって成し遂げられたものでありました。
しかし、移築より星霜移りてここ百年。経年による全体的な木部の腐敗劣化、彩色部の剥離損耗、屋根鉄板の腐食漏水、加えて十勝沖、釧路沖地震による虹梁・漆喰壁の亀裂損傷等早急の対応が望まれておりました。
幸いにして、佛祖の冥祐とは申しながらご門徒は申すまでもなく、専門的なご教導とご援助を賜った文化庁をはじめ関係機関、関係各位のご助力により3年にわたる保存修理事業を滞りなく竣工完成させていただく事が出来ました。
誠に早天に慈雨の思いであります。
先人先輩の熱き懇念による本堂が独り一寺院の伽藍としてのみならず末永く護持伝承せられ僅かなりとも地域貢献出来ます事を願っております。合掌
平成20年10月31日

経歴
大正七年三月十五日出生 父、恵琳 母、ミツヨ 三男一女、四人兄弟の三男として生まれる。
大谷大学卒業後、昭和二十年七月十二日正行寺住職拝命
昭和二十二年 父、永専寺住職 寺永哲英 母、弥生の二男三女の次女 寺永和子と結婚
平成十五年十月二十四日 住職退任、在職年数五十六年
平成二十七年六月十三日 寿算九十八歳にて命終 「第四世住職 命終」へリンク


朝日 恵温  在職 大正13年~昭和20年

明治20年 (1887年) 4月5日生
真宗大谷派正行寺住職朝日恵明、坊守やすの二男として生る
明治45年 (1912年) 朝曦小学校京北中学を経て、北海道帝国大学、真宗大谷大学研修科卒業
大正14年 (1939年) 正行寺住職
昭和20年 (1945年) 命終


朝日 恵琳  在職 明治42年~大正13年

明治13年 (1880年) 10月20日生
真宗大谷派正行寺住職朝日恵明 長男として生る
明治38年 (1895年) 朝曦小学校、米南教校を経て東京真宗大学卒業
明治39年 (1896年) 本堂再建責任者となる。
明治41年 (1908年) 正行寺住職
明治43年 (1910年) 本堂再建工事竣工、翌44年(1011)落慶法要


朝日 恵明  開基在職 明治12年~明治42年

嘉永元年(1848年) 3月21日生
真宗大谷派 正行寺住職 朝日法海 三男として生る
明治 1年(1868年) 新潟県姫川原本派正念寺慧麟の崑崙社に入塾
明治 3年(1870年) 3月28日東本願寺にて得度
明治 6年(1873年) 新潟県頸城郡東條此衛門三女東條ヤスと結婚
明治 9年(1876年) 7月渡道、札幌別院に勤務
明治12年(1879年) 11月寺院設立開教のため厚岸方面出張を命じらる
明治12年(1879年) 12月湾月町に民家を借り仮説教場とし、開拓使に設立届出
明治14年(1881年) 奔渡村番外地(現在地)に移転
明治16年(1883年) 正行寺公称することを許可さる
昭和 2年(1927年) 命終